『「NO ミュージック NO見下し」 音楽の世界に蔓延る「見下し現象」とは…?』を読んだ感想。
構図的にはエグザエルを見下すsekai no owari好きがいて、さらにsekainoowariを批判するゲスの極み乙女好きがいて、更にゲスの極み乙女を見下す人達がいて「音楽の話しをしてもそんな奴らばっかで嫌だ。音楽の話ができない。そんなのやめよう。」ってはなし。
感想として、気持ちは分からんでもないけど、批判とか見下しはあって当たり前だし、批判があってもなくても、音楽の話しを面白くする要素は「建築的」であったり「面白い意見」かどうかに限る。
好きな音楽が批判されたとしても「そんな受け取り方するんや」「でも俺はそう思わない、俺はこういうところが好き」って意見を述べて、相手もこちらの意見を取り入れて、きちんと見下しあいながらも受け入れればそれでいいのでは。酷評されても「言い過ぎやろw」って笑えないのか。
むしろ自分の好きなアーティストを批判されたらキレたり傷つくやつの方がややこしい。
たとえば豚骨ラーメンを見下す魚介ラーメン好きがいて、さらに魚介ラーメン好きを批判する醤油ラーメン好きがいて、醤油ラーメンを見下す人達がいて「ラーメンの話しをしてもそんな奴らばっかで嫌だ。ラーメンの話ができない。そんなのやめよう。」ってなんねーだろ。「豚骨ラーメン好きと話がしたいなあ。」でとどまるはず。
もっと言えば、この世に屁こきミュージックなる「ただひたすら屁の音を鳴らすジャンルの音楽」が存在したとしたら、この「特定の音楽見下すのやめようよ」って人達も屁こきミュージックのことを見下すだろうと思う。決して「私は興味ないから。」だけで済ませれない感情が溢れるはずだと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿